戦国乱世の時代、阿部勇左衛門なる武士、宮地岳右宮に居し、その勇近隣に及ぶも、相次ぐ戦乱の世に無常を感じ、刀剣を捨て「立休」と号して仏門に入りしが、南無阿弥陀仏の六字の尊号を得て深く他力念仏の教えに帰依し、帰郷して当地の庵を結んだのが開基とされております。(天正元年・1573年)

 織田信長と本願寺との大阪石山合戦終結後、文禄元年・1592年、当寺第3世「慶了」は、本願寺第十二代「准如上人」に従い、その後「歸龍山真光寺」と号して、現・浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属し、爾来450年余り本願念仏の法灯を継承し今に至ります。(現住職・第17世)

 現在の本堂・庫裡・会館・客殿は、平成14年(2002年)に、また、山門・鐘楼堂は平成23年(2011年)に、共に門信徒、並びに有縁の方々の尊いご懇念により再建されました。